こんにちは、つるです。
もともと20代後半まで英語力ゼロの普通の保育士だった私ですが、辞めて1年半後には海外(カナダ)の現地保育園でアシスタントティーチャー(パート)として働くことができていました。
そのときのことを思い出して、
・どんな流れだったのか?
・何をしたのか?
・何が良かったのか?
等を振り返ってみたいと思います。
こんな人もいるんだなと参考になれば幸いです!
保育士を辞めてから、最低限の英語を身につけるためにフィリピンへ(約2ヶ月)
日本で保育士(子ども園、幼稚園含む)を数年やった後、転職ではなく退職しました。
そして、英語を学ぶために、フィリピンへ語学留学へ行きました。
春に退職し、それから準備をスタートしたので、実際に行けたのは夏になってからでした。
フィリピンへの飛行機代と語学学校の学費は、保育士時代に貯めたなけなしの貯金でまかないました。
マンツーマン授業と学費・寮費・食費がパッケージになっている安さが魅力でフィリピンに決めました。
当時すでに20代後半でしたが中学英語も怪しいくらいだったので、語学学校では一番下の初級レベルからのスタート。
大変でしたが、マンツーマンで朝から晩までみっちり授業が詰まっていたおかげで、英語のベースを身につけることができました。
語学学校を卒業した後、日本で資金作り(約8ヶ月)
実はこのフィリピン留学の後にイタリアにも行ったので、日本に帰国したときにはすっかりお金がなくなっていました。
ワーキングホリデーに行くには約100万円ほどあると良いと言われていたので、とにかく資金を作らなければと思い、食事つき住み込みアルバイト(リゾートバイト)を始めました。
出費を限りなく抑えて…と思っていたものの、リゾートバイト先でできた友人と観光に行ったりとちょこちょこ出費も出てしまい、想定よりも長い期間が経過してしまいました。
カナダへの航空券や現地語学学校の費用を引いて、結局60〜70万円くらい貯金できたところで、カナダへ行きました。
カナダで仕事も家も見つからない…どんどんお金が減っていく日々
最初、カナダのヴィクトリアという街で、1ヶ月ほど語学学校へ通いました。
これは、英語圏の語学学校に興味があったのと、情報収集や友人づくりの機会にもなるかなと思って決めました。
結果として、友達もでき、楽しく過ごせたのは良かったのですが、肝心の仕事と家が見つかりませんでした。
カナダに着いてからずっとどこに住んでいたのかと言うと、バックパッカーが寝泊まりするゲストハウスです。(水回り共用・4人部屋の2段ベッドの上が自分のスペース)
さすがに1ヶ月あればちゃんとした家を見つけて引っ越せるだろうと思いきや、なかなか決まらず…。
空いている部屋を探しては見学に行っていましたが、衛生的に難しかったり、タイミング悪く別の人が決まってしまったりして日々が過ぎていきました。
同様に、仕事も決まりませんでした。
申し込んでも返事がなかったり、面接で断られてしまったり。
ゲストハウスでは日によっては簡単な夕食・朝食が食べられましたが、決して物価が安いわけではないカナダではお金はどんどん減っていきます。
家・仕事・お金のすべてが安定せず、しかも言葉がうまく使えない異国でこれからどうしよう、と不安がピークに達していました。
そんな中で、ゲストハウスの近くにあった図書館で『ザ・シークレット』という本に出会ったことが一つの転機となりました。
トロントへの移動を決めた理由
午前中の授業以外は何もすることがなかったので、近くを散歩したり、ふらっとお店に入ってみたり、出会った友人と遊びに行ったり、現地の留学サポートエージェントさんのところに相談しに行ったりしていたのですが、それでも時間が余りました。
ゲストハウスは人がたくさんいてあまり落ち着かないので、そのうちに図書館で過ごすことが多くなりました。
その図書館には日本語の本もたくさん置いてあって、日本語を読んでいると時間が潰せたし、憂鬱な気も紛れました。
そこで『ザ・シークレット』(ロンダ・バーン著)という本を見つけました。
「前に芸能人がおすすめしていた本だ」と思って手に取ってみたら、中身はいわゆる引き寄せ系・自己啓発系なのですが、ざっくり一言で言うと「願えば叶うに決まってる」「人間できないことなんてない」というような内容でした。
衝撃を受け、藁にもすがるような思いで読み進めました。
そして同じシリーズの『ザ・マジック』『ザ・パワー』も数日かけて読み終えた私は、ネガティブな気持ちを一旦横に置いておいて、このワーキングホリデーの目的をもう一度自分に問いかけてみました。
すると一番やりたかったのは、「海外の幼児教育を学びたい・体験したい」というものでした。
それは、どちらかと言えば隠居地・観光地の色が濃いヴィクトリアでは難しいかもしれない。
それをしたいならもっと人口が多く仕事も多い都会で探した方がいい。
都会に行ったからと言って見つかるかはわからないけど、でも可能性があるなら行ってみよう。
もし自分に合わなかったら、また移動しよう。
そんな風に考えて、首都トロントへの飛行機のチケットを買いました。
ヴィクトリアを離れる前の出来事
トロントへ移動することを決めてから、なぜか「友人の家で空きが出るから住まない?」とか「帰国しちゃう子がいるからバイト応募してみたら?」というような誘いが増えました。
これらの誘いがもう少し前に来ていたら、トロントに行かずにここに住み続けていたのかも…と思うとタイミングってあるんだな、と実感しました。
ヴィクトリアで出会った人々と離れるのは寂しかったです。
でももうチケットも買ってしまっていたので、今度はトロントでの家と仕事探しを始めました。
1ヶ月ゲストハウスに住んで懲りたので、それ以外で探していたのですが、土地勘もないので途方に暮れ…仮住まいのような形で、短期で住める家を一旦借りて、仕事が決まったら職場の近くに引っ越す計画を立てました。
そして日本人向けの掲示板で良さそうな家を見つけ、連絡を取ってみると、空きがあるとのことでトントン拍子に住居が決まりました。
部屋を探し続けたこの1ヶ月は何だったんだろう?というほど呆気なかったです。
事前見学できない分多少心配はあったものの、とりあえず野宿せずに済むので一安心でした。
また、同じく日本人向けの掲示板を見ていたときに、「日本人学校の幼稚園クラスでのお手伝い募集」というような仕事(ボランティアも)を見つけました。
一瞬いいかもとは思ったのですが、カナダ人の先生の保育が見たかったのと、日本人だけでなく多国籍な子どもたちのクラスに興味があったので、応募するまでには至りませんでした。
ただ、「こういう募集もあるんだ!」と知ることができたのが大きな出来事でした。
無事に引越しが終わり、ついに仕事が決まる
バックパックひとつ分の荷物を持って、トロントへ移動しました。
入居の際は緊張しましたが、オーナーさんやファミリー、シェアメイトのみんなが温かく迎え入れてくれて、この時点で「思い切って来てよかったな」と感じました。
トロントではもう学校もないため、毎日ネットや町中で仕事を探しました。
シェアハウスのみんなにも「第一希望は保育関係で…」といった話をし、よく情報交換もしていました。
数日経った後で、掲示板で「現地保育園のアシスタント募集」の投稿を見つけました。
応募条件には当てはまっていたので、本当にドキドキしながら履歴書・レジュメを送り、連絡を待ちました。
すると、面接の知らせが来ました。
続いてメールで日時をやりとりで決め、そのまた数日後へ園へ向かいました。
採用担当が日本人の方だったため、面接は日本語でのやりとりでした。
そのときに簡単に園の見学をさせてもらえたのですが、そこで働いてる先生も子どもたちも多国籍で、英語で保育が行われ、当然ながら園舎も日本とは違ったつくりで、「ここで働けたらな…」という気持ちが大きくなりました。
面接の結果は来週末までにメールで知らせますとのことで、帰宅しました。
どうしてもここで働きたいと思えば思うほど不安が増して、その度に「もうできることはない、後は連絡を待つだけ」と自分に言い聞かせながら1週間が過ぎました。
『ザ・シークレット』に書かれていたことを実践したりもしていた気がします。(気分が落ちたら好きなものやポジティブになれるものを見つける、もうすでにそこで働いている自分をイメージする、など)
翌週末の最終日に採用の連絡が来たときは、本当に涙が出そうなくらい嬉しかったです。
こうして、保育経験がそれほど多くなくても、英語がペラペラじゃなくても、現地の資格がない私でも、カナダの保育園で働くことができました。
(※余談ですが、アシスタントであっても救急救命の資格は必須なので、採用が決まった後に丸2日間の研修をALL英語で受けました。座学だけじゃなくグループワークや実技実践もあって他の受講者20人くらい全員英語ネイティブレベルで私一人だけ英語力が足りなさすぎていろんな意味で泣きそうになりながら取得しました)
まとめ
日本にいたときに「カナダで保育士になる方法」をネットなどでよく調べたりしていました。
でもそのときは、カナダでの保育士資格が必須で、それを取得するには現地の学校を卒業しないとならない…といった情報しか見つけられなくて、「難しいな」と思っていました。
現実として、当時の私はすでにアラサー、保育経験が多いわけでもない、英語もできない、カナダの大学に入って資格を取るお金も時間の余裕もない・・・とないものだらけで、自信も何もなかったです。
なので、最初の頃は「本当は現地の園で働けたらうれしいけど…せめて資格がなくてもできる幼児教育関連ボランティアをしよう!」と思っていて、実際にボランティアセンターに登録しに行ったり、リーフレットやネットで探したりしていました。
ただ結局そちらは叶わず終いでした。
現地チャイルドケアセンターでの採用が決まったのは、カナダにワーホリに行ってから2ヶ月目のことです。
パートでアシスタントだから、現地の資格がなくても大丈夫だった。(担任の正社員の先生は現地の資格がないとなれません)
その園に日本人の採用担当の方、そして日本人の先生がいたから、私の英語がペラペラじゃなくても雇ってもらえた。
この件から思うに、
といったことがプラスに働いたのかなと思います。
できない理由はいくらでも出てくるので、そこは全スルーで良いんだと思います。
あと、私のようにどう考えても無茶なことを叶えたいときに、『ザ・シークレット』おすすめです。
(ちょっとスピリチュアル系っぽい内容なのですが、それ系をまったく信じていなかった私でもそこまで違和感なく読めて、結果も出たので今では本当にこういうのってあるんだなぁと思っているくらいです。)
「カナダで保育士になる」には、こういうパターンもあります。
最後まで読んでくださりありがとうございました!